Agnaa in Shinjuku 制作の背景

藝大の建築科は一学年が15人で、私が在籍した学年は個性豊かで、とても自由な校風であった。卒業制作を下級生が手伝うという伝統は今でも続いているようだが、卒制の提出前日に私の家に泊まっていた後輩や先輩を数えたら8名いた。私が1年の時に卒制を手伝った先輩に大変にお世話になり、磯崎新アトリエのアルバイトを紹介してもらい、2年の頃から、大学に居る時間よりもアトリエにいる時間の方が長かった・・・というわけで、磯崎新の、プロセスプランニング、コンテクスチャリズム、フォルマリズムといった影響が卒制に顕著に表れている。

当時の藝大のカリキュラムは、1年生では、展示スペースや椅子の制作、2年生では住宅、スキーロッジ、美術館、3年で図書館、集合住宅、地域開発と次第にスケールアップしており、その勢いで卒制で都市デザインに取り組んだ。新宿副都心としたのはあまりにも大きな課題を感じたからで、あえてそのアンチを提案した。この取り組みは私のその後のキャリアの道筋をつけることになった。

スタディモデル
最初は、高架道路よりも存在感のあるものを・・・ということで、ローマの水道橋をモデルに、直線的なペデストリアンデッキを交差させることを考えた。

次に出たのは、正方形グリッド建築をリズミカルに配置し、その周辺は森で埋め尽くすというアイデア。一番下は施設の配置を検討するための最終のスタディモデルである。

買上展を見て
大先輩の卒制が、今我々が知るスタイルとは全く異なり、吉田五十八が表現派、吉村順三が初期モダニズムなのには驚く。日本画や彫刻、工芸などのファインアートの巨匠たちが、卒制でその後の作風の基本ができあがっているのとは極めて対照的で、建築に限らず、デザイン系はスロースタートであることに焦らなくても良い、と今の学生さんに言いたい。