東京緑地計画 から 涼都2050へ

戦前に「東京緑地計画」という、東京23区を「グリーンベルト」で取り囲み、東京都心部の成長を抑制しよう、という壮大な都市計画がありました。用地の買収が進められましたが、戦時中にその目的が戦火の拡大を防ぐための「防空緑地」に置き換えられました。そして残念なことに戦後、GHQの指揮下の農地開放により、東京緑地計画は消滅してしまいました。買収済みの用地も戦時中の食糧難で畑になっていたために農地と見なされてしまったのです。現在の小金井公園、深大寺植物園、砧公園、舎人公園、水元公園などにその名残を見ることができます。
戦災復興計画として再度立案されますが、その基盤は失われていました。

1958年の第一次首都圏基本計画では、1944年の大ロンドン計画をお手本とし、都市の成長を抑制するためのグリーンベルトが「近郊地帯」として計画されます。しかし、開発抑制に対する地元農民による激しい反対運動やスプロール化の進行、そして、住宅不足解消のための団地建設という要請から指定することが出来ず、1965年には「近郊地帯」は廃止されてしまいます。
首都圏基本計画と大ロンドン計画を同一スケールで比較すると、後者のグリーンベルト(巾10km)のスケールの違いが顕著です。

さて、このように、戦前、戦後と2回にわたる都市計画案でグリーンベルトとして指定されたエリアは、その後どうなったのでしょうか。
2007年撮影の衛星写真から「農地+空地」を抽出し、黄色で示す(2010年に堀内が作成)
東京農業大学の進士五十八先生のご指導のもと、衛星写真を分析して「空地+農地」を抽出したところ、かつてグリーンベルトとして指定されたエリアに「農地+空地」がまだ多く残っていることがわかりました。生産緑地以外の農地も含む、実体としての農地の資料が無いので、独自の調査を行いました。
それを、1942年の東京緑地計画と重ねてみました。濃い緑色は、公園として実現しているところです。
2009年の「農地+空地」と、東京緑地計画(1942)の重ね合わせ
これは2009年撮影の写真との比較なので、現在では、農地や空地は減少しています。そして、今後、生産緑地法の改正により、保全された生産緑地の宅地化が進み、農地や空地がさらに減少することが予想されています。

地価がまだ低かった戦前と違い、土地をこれから公的に買収することは無理ですが、緑化規定の制度化、あるいは協定による民地の誘導により、グリーンベルトに相当するエリアの環境の質を保全することはできないかと考えています。
さもないと、交通のアクセスの悪い元農地などは安易な開発により環境の質が低下する恐れがあり、既に供給過剰で空室率が高くなっているところもあります。

「涼都2050」では、元グリーンベルトのエリアに緑豊かな環境を再生し、環境負荷が少なく、都会と自然の融合した、住みやすく価値の高い市街地の創造することを提案します。このエリアの環境の質が向上するだけでなく、首都圏のヒートアイランド現象も抑制し、「熱都」の東京を「涼都」にすることを目ざしています。これまでも「環境共生住宅」といった個々の取り組みがありますが、「涼都2050」では、それを連続させ、面としての広がりを生み出します。

戦前は都市計画が行政内の位置付けとして上位にあり、「東京緑地計画」が生み出されました。このような総合的な展開が必要な政策は、残念ながら縦割り、細分化した現在の行政機能で取り組むことは、極めて困難です。

東京緑地計画が掲げた大きな目標は、都市の成長を抑制し、良好な環境形成を誘導することでした。欧米の都市では成果をあげていますが、道路政策が中心となっている日本の都市計画でこのような目標を掲げることはありません。「環境共生」は民間の自主努力によるレベルにとどまっており、それをいかにして都市計画の基本概念とするか、環境共生都市の創造に向けたパラダイムシフトが求められます。

新しい動きとして「グリーンインフラ」という考え方が米国から入ってきました。これまでの公共事業は「グレーインフラ」なので、それをグリーンに変えようということです。まだ、我が国では雨水浸透といった限られた領域の取り組みにとどまっていますが、より広い対象で展開したいテーマです。

「涼都」という名称は、2018年6月28日の堀内ゼミで、1997年生まれの尾形直紀君が考えたものです。とても良い名称なので、「2050年の東京」と言っていたのを「涼都2050」と名付けました。「涼都2050」を実現するためには、都市計画だけでなく、さまざまな関係者と連携した包括的な取り組みが必要です。細かいことに関心が集まってしまう今の日本ではすぐには受け入れられないと思いますが、なんとか今の若者が現役のうち(2050年)に実現し、豊かな生活を送るための目標として欲しいテーマです。

「涼都2050」に対し「涼都2020」は、クールシェアを中心にすぐに展開できるように考えられたアイデアで、酷暑の東京で開催される東京オリンピックで役に立つ暑さ対策としてまとめたものです。